兵庫県立大学大学院 減災復興政策研究科教授 加藤 恵正 氏
ラストベルトの逆襲?
「トランプを大統領にしたのは「ラストベルト」だ」。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(2016/11/16)は、米国再生というスローガンに共鳴する素地がラストベルトにあったと報じた。「1990年代後半に掲げられた技術の進歩と世界貿易が恩恵をもたらすという政策が、国内の多くの地域と同様、実を結ばなかった」(同紙)という。ラストベルトとは、産業構造の転換に対応できず、経済的衰退、人口減少、都市の荒廃が顕在化している地域で、OIA(Old Industrial Area)とも呼称され、その再生・再編は、先発工業国が共通して有する悩みであった。ただ、世界のラストベルトは、1980年代以降、多様な変化を顕在化させている。1980年代のサッチャー政権下でのインナーシティ政策は、エンタープライズ・ゾーンや都市開発公社といったこれまでにない市場指向型都市政策による、ラストベルトを含む衰退地区再生を企図する大胆な取り組みであったし、ドイツのIBA EmshireParkプロジェクトは、旧ルール工業地帯において環境再生を引き金とする地域再生の構図を示したものとして注目された。こうした動きを受け、1995年には、“The Rise of Rustbelt”(P.Cooke)が公刊され、世界のラストベルトの多くが再生に向けた動きを示していることを明らかにしたのである。
大阪湾ベイエリアは、かつて日本の産業を支えた旧阪神工業地帯を核とするラストベルトである。1900年代初頭、日本の工業生産額の3割を占め、経済活動の機軸地域としての役割を果たしてきたこの地域は、その後地域内部におけるイノベーションが欠落し、加速度的な衰退に直面することになる。その後、様々な変化のなかで新しい動きも顕在化させてきている。
本稿では、大阪湾ベイエリアが経験してきた道のりを概観するとともに、変化し続けるラストベルトの「未来」について展望を整理することにしたい。
大阪湾ベイエリアの盛衰
近年における大阪湾ベイエリアの変化は急である。2016年、パナソニックがプラズマ・ディスプレイ・パネル(PDP)を生産していた尼崎の3工場の売却先が相次いで決まった。いずれも外資系企業への売却で、すべて物流施設になる見通しで、一部は今年から稼動の見通しという。
2011年10月、パナソニックは薄型テレビ事業を縮小することを発表。同時に尼崎臨海部に立地するPDP工場の休止を決めた。同時期、薄型パネルに命運をかけたシャープの液晶パネル旗艦工場である堺も操業の大幅な見直しが行われた。その後、シャープは、2016年に台湾の鴻海精密工業(鴻海)に買収されることになる。大阪湾ベイエリアが、薄型パネルの世界的な製造拠点であったのはわずか5-6年のことであった。その経済効果は、かつて関西圏において約4兆円(関西社会経済研究所)とも試算されていた。さらに、大阪湾ベイエリアに集積する次世代エネルギーの主役として注目された太陽電池・リチウム電池なども、新興国の躍進など当該産業全体の競争環境の変化から、大阪湾ベイエリアのシェアは急落した。
2017年10月、神戸製鋼所は神戸製鉄所(神戸市灘区)の高炉を廃止し、その機能を加古川製鉄所に集約する。かつて、鉄鋼と造船によって繁栄した旧阪神工業地帯は大きく変容してきている。こうした変化は、他の産業においても同時に忍び寄っていた。2012年8月、アサヒビールは西宮工場(兵庫県西宮市)のビール製造を終了し、同工場の85年の歴史に幕を閉じた。同時期、森永製菓は尼崎市塚口工場を閉鎖。群馬県高崎工場に建設する新工場に生産を集約する。さらに、雪印メグミルクは関西チーズ工場(伊丹市)を2014年に閉鎖。茨城県に新設した工場に生産を集約した。ブランチ経済は変質してきている。
やや旧聞に属するが、武田薬品工業の研究所は、大阪府の大きな立地インセンティブ供与の申し出にもかかわらず、神奈川県に集約することを決定している。「経営環境の20-30年先まで考慮した結果、関東に研究拠点を置くことを選択」したと報じられた。グローバル企業の立地変化も顕在化している。神戸市六甲アイランドに拠点を置いていたP&Gは、2009年にアジア本社をシンガポールに移転。同社はシンガポールにおいて経営・企画を行うと同時に、2013年には2億5千万シンガポールドルを投資して生命科学やバイオテクノロジー展開のためのイノベーション・センターを設立。ここは、シンガポールにおける民間企業の中で最大規模のR&D拠点という。2016年、同社は規模縮小にともなって日本本社を六甲アイランドから三宮に移転。神戸イノベーションセンターを併設している。大阪湾ベイエリアから知識創造の拠点が流出している1)。
パネルベイ盛衰の背後に潜む変化は、大阪湾ベイエリアがもともと有していた地域経済構造の課題をなお克服できていないことを示唆している2)。
ラストベルトの呪縛-大阪湾ベイエリアの「負のロックイン構造」
(1) 都市の衰退と「負のロック・イン」3)
ルール工業地帯の衰退とともに役割を終えた「ツォルフェアアイン炭鉱」は、
産業遺産に転換され、新たな役割を担い、世界中から観光客を呼び寄せている。
「強いつながりの脆弱さ(The weakness of strong ties)」。古い産業地域が次の発展に向かうとき陥る罠をG.Grabher はこのように呼んだ。都市の盛衰を牽引するのは産業活動である。産業空間の衰退に関わる議論は、これまで成長や発展に関しては経済学等からも多くの理論が提示され分析が進んできたが、衰退局面に関しては一部を除き十分な検討が行われたとは言いがたいのが実態である4)。1993年、Grabherはドイツのルール工業地帯を事例に産業空間衰退のメカニズムを明らかにし、その後のRustBeltなどの古い産業地域・都市研究の問題を進化経済学からアプローチしたのである5)。
こうした地域が衰退に転じた背景として、Grabherは「産業の発展を促す地域の雰囲気」「高度に発展し洗練されたインフラ」「稠密に形成された企業間の連関関係」「政治的な支援」といったかつてその地域を繁栄に導いた強みとも言える要素群がロック・インされることによって、逆に発展のエンジンとも言える地域イノベーションを押さえ込むことになったことを指摘した。こうした要素群は、各々が「強いつながり」によって巧みに構築され、地域経済の成功・繁栄に大きく寄与してきたが、時代の流れの中で硬直化の罠に陥ったと指摘する。実際には、「機能的ロック・イン」「認知的ロック・イン」「政治的ロック・イン」という3つの負のロック・インが作用したと分析している。
機能的ロック・インとは、地域内に埋め込まれ安定した(固有の人間関係をベースに形成されたものを含む)長期継続取引の結果、組織の壁を乗り越えた新市場の開拓や技術革新が消失した状況を指している。認知的ロック・インは、地域内に形成された密度の濃い企業間の関係性が、結果的にもたらす地域の硬直化を意味している。その背後には、技術の理解、契約ルール、コミュニケーション時の知識などに共通した「言語」を有していることがある。しかし、地域で共有された固有の「視野」は、異なる文化や考え方がもたらすイノベーションへの契機を失わせてしまう。地域内での関係性はより強いものへと促されるが、一方で地域外や異なる視点との関係性を排除するかもしれない。政治的ロック・インは、産業と地方政府、労働組合、経済団体の関係性に関わっている。これらは、公式・非公式に強く結ばれており、地域産業全体の転換期においてその柔軟性を失わせることになる。なお、Grabherは、当時のルール地方の再生、すなわち負のロックイン解凍への手がかりとして形成されたつながりに柔軟性(redundancy)をもたせること,緩やかなネットワーク化の必要性を提案している。こうした政策の方向性に現時点では目新しさはないが、一旦繁栄した地域や都市の衰退のメカニズムについては、今なお示唆的である。Grabherの視点は、都市衰退メカニズムを解明する重要なアプローチとして、世界的に展開していくことになる。
たとえば、R.Hassink は、その後の世界的なOIA研究の蓄積によって、そのタイプによって多様な負のロック・インの組み合わせがあることを明らかにしている6)。それでは、大阪湾ベイエリアはこうした視点からどのようにみることができるのだろうか。
(2)大阪湾ベイエリアにおける「負のロックイン」
大阪湾ベイエリアでは、以下の3つの負のロックイン構造が存在している。第一は、「機能的ロックイン」である。大阪湾ベイエリアの歴史は、ブランチ・プラント型経済形成の過程であった。ブランチ・プラント型経済とは、中枢管理部門や研究開発機能を持たず、企業の製造拠点として位置づけられた工場群が形成する産業空間を指している。一般に、地元企業との連関性は少なく、技術の移転も期待できないことが多い。世界的な生産システムの再編が急速に進行する過程において、常に移転・消滅の変化に直面している。旧阪神工業地帯の衰退は、もともと本社工場として位置づけられていた大規模事業所が、一分工場へとその役割が変化する過程でもあった。現在、興隆する大規模事業所群はパネルベイとして一躍衰退地域を成長地域へとイメージの転換を促したが、ブランチ・プラント経済の陥穽から逃れられているのだろうか。急進する知識経済への潮流のなかで、企業の経済活動と地域経済の関係再構築は喫緊の課題である。
第二は、空間的ロックインである。地域経済の進化は、これを支えるインフラストラクチャーの再編と呼応している。工業化を支えたインフラは、地域経済の変化・再生の過程で大胆な見直しが必要である。たとえば、それは臨海部の産業地域と都市部を隔ててきた産業用道路もそのひとつだ。都市経済がツーリズムなど集客型への指向を強めており、親水空間としてのウォータ・フロントへの転換は喫緊の課題と言わなければならない。創造都市に求められるインフラの再構築が必要である。
第三は、制度的ロックインである。1980年代にその兆候がみえたインナーシティ衰退や臨海部のラスト・ベルト化は、しかし、政府の分散政策への固執によって政策が講じられることはなかった。わが国の国土計画は、一連の全国総合開発計画がその根幹となってきた。しかし、実際には市場の変化に遅れ現実の動きに追随する形で政策形成されており、80年代に顕在化していたグローバル化や情報化の潮流にもかかわらず「国土の均衡利用」という硬直化した国家的枠組みに固執し多くの点で失敗を繰り返したといってよい。たとえば、大都市集中抑制のための工場(業)等制限法は、大阪湾ベイエリアの自立的再生を妨げた象徴的制度であった。計画や政策が地域のポテンシャルを毀損し、本来有していたであろう地域のダイナミズムを消失させたのである。実際、同法が廃止されて以降、薄型パネル生産の拠点としてベイエリアは発展を開始したのである。大阪湾ベイエリアの将来を見据えたとき、陳腐化した制度や仕組みがイノベーティブな地域形成を窒息させることはないだろうか。
こうした、3つの「負のロックイン」は、実際には相互に強くかつ複雑に結びつきながら、大阪湾ベイエリアの再生のポテンシャルを抑え込み、その進化のメカニズムを分断してきたといってよい7)。それでは、こうした「ラスト・ベルト」の呪縛から離脱し展望を開くにはどのような手立てがあるのだろうか。
(3)ラストベルト再生における小組織企業8)
大阪湾ベイエリアの未来を考える上で、人材の問題は閑却できない。図1には、「人的ロックイン」として示すことにした。今後、産業空間の新たな展開において、小組織企業の役割は大きい。
都市政策はこれまでわれわれが経験したことのない状況への対応に迫られている。本格化するグローバル化のなかで、さきに示したようにブランチ工場の撤退・集約は加速し始めているし、既往中小企業もアジアとの競合のなかでその存立基盤を脅かされている。既得権を有する既往セクターの擁護は、萌芽的だが活力に満ちた新たらしい主体を抑え込み、結果として都市のダイナミズムを消失させているかもしれない。都市政策が直面する課題は、これまで与件であったり、暗黙のうちに手をつけなかった領域の抜本的見直しといって過言ではない。
それでは、こうした観点からこれからのベイエリア経済を支える主役は誰なのか?ベイエリア経済の屋台骨として明治以来機能してきた大規模ブランチ工場群の役割には今後とも期待したいが、世界的な生産配置の変化が継続的かつ加速しながら生じている状況を鑑みると、もともと行政がその動向に政策的に関与しうる可能性は小さい。大規模事業所と連動する都市産業政策の大胆な進化が必要のようだ。一方、情報共有のためのコストが飛躍的に低下する情報化の流れ、さらにこれに呼応する形で急拡大する取引の範囲、そして製品サイクルの短期化に象徴されるスピードの重視など、小規模組織が変化に機動的に即応することによって得られるメリットが大きい経済潮流が顕在化している。小規模組織台頭の可能性は大きい。かつてのシリコンバレー興隆に端を発したマイクロ・ビジネス(ベンチャー・ビジネスや社会的企業、さらには既存の研究開発指向型中小零細規模の事業所を総称したもの)ブームはまだ記憶に新しいが、局地的でやや特殊な環境で跳梁したベンチャー・ビジネスの時代から、地域の社会経済資源に根ざしたマイクロ・ビジネスの本格的な到来へと状況はシフトしている。その意味で、都市政策はイノベーションのエンジンとしてのマイクロ・ビジネスの立地、起業・育成に焦点をあてることが重要である。
マイクロ・ビジネスを担う起業家の多くは既存企業からのスピン・アウトであるが、現時点では必ずしも明瞭に顕在化しているわけではない。一方で、起業家となる人材を育てることも政策的観点から検討の余地がある。かつて、欧州に企業・商工会議所が連携した国際起業家大学が作られたことがある。多くの大企業が保有する技術やシーズをビジネス化する人材育成を目的とする起業家を養成しようという大胆な発想なものであった。世界中から野心のある若者が集まり、幾多のベンチャー・ビジネスを輩出したという。こうした仕組みは、企業・経済界と大学がきわめて強いパイプで結ばれて実現するものであろう。大阪湾ベイエリアには、日本を代表する大企業・中堅企業群が今も立地しており、自治体との連携の下にかかる人材育成のための組織や仕組みを作ることはイノベーション創出の基盤となるだろう。社会に出るためのチャンスを提供しようとするこうした仕組みは、世界の若者にとって魅力的なものとなるはずである。
大阪湾ベイエリアの未来:地域イノベーション・システム構築に向けて
「デトロイトの犯した過ちは、自動車産業の雇用が減るのを阻止できなかったことではない。・・・中略・・・デトロイトの本当の失敗、それは、エコシステムがまだ機能しているうちに、そのエコシステムで支える産業を新たなものに転換しなかったことなのだ」(エンリコ・モレッティ2014)9)。米国が掲げるアメリカ第一主義は、さらに、都市経済のダイナミズムを弱体化させてしまう可能性がある。
変化を続ける大阪湾ベイエリアにおいて、ラストベルトを離脱する引き金は用意されてきたのであろうか。神戸市のポートアイランドに集積が形成されてきた神戸医療産業都市はその役割を担っているといっていいだろう。2016年現在、進出企業数は330社、雇用者数8100人、経済効果は1615億円と推計されている。1998年に阪神淡路大震災からの復興プロジェクトとしてスタートしてから、ほぼ20年が経過しようとしている。この間、神戸市立医療センター 中央市民病院を中心に高度医療を施す多数の専門医療施設が集積し、高度な医療サービスの提供をはじめ、新たなビジネス機会の創出の核ともなりつつある。今後、かかる集積の自己増殖性を加速させ、内外の稠密な連携や広範な領域とのネットワーク形成をプロデュースすることが不可避である。新規立地企業、多様な関連事業所群、既存企業等との新たな連関関係形成は、既得権益や硬直化した慣習や関係性から離脱する地域イノベーション・システム形成に他ならない。巨大災害からの復興プロジェクトとして起動した先端メディカル・クラスターの進化は、ラストベルトにおけるブランチ・プラント経済からの新たな展開方向を示すモデルのひとつである。
ここ20-30年、世界のラストベルトは「実験」的政策の場としても、様々な再生の試みが行われてきた。最後に、大阪湾ベイエリアを念頭に、ブランチ・プラント経済の罠からの離脱、そして新たな「地域イノベーション・システム」構築の可能性への若干の展望を整理しておくことにしたい。第一に指摘しなければならないのは、地域ガバナンスのあり方である。大阪湾ベイエリアは、大阪湾臨海整備地域が大阪市、堺市、神戸市、尼崎市など湾岸基礎自治体を多数含んで兵庫県、大阪府にまたがって指定されている。ブランチ・プラント経済からの離脱を考えるうえで、産業構造の再編・転換を含む中・長期的視点からの地域経済再生を計画し、既存産業再編や新たな産業導入のための府県境・市境をこえた広域的視点から経済競争力強化のための地域整備を行うことは不可避となる。これまでのように、自治体ごとの画一的施策ではなく、大阪湾ベイエリア全体をマネジメントすることによって、地域産業の活性化や新規産業立地を加速させる戦略が重要となる。経済空間と行政空間の不一致を排し、広域行政のなかに解決の方途を見出すことはその効率性からみて必須といってよい。
2010年12月、関西広域連合が関西2府5県によってスタートした。府県をまたぐ広域連合は、全国初の取り組みであるが、産業・経済領域においては、関西経済ビジョンを策定しつつある。一方、広域連合は自治体の集合体としての側面が強く出るために、地域経済活性化や、地域を取り巻く社会経済環境変化への対応といった、長期的視点から評価すべき産業政策やインフラ整備などには合意が得られにくいといった指摘もある。関西圏域における有機的連携、そのマネジメントが求められる産業ビジョンは、かかる課題をどのように乗り越えられるのかを示す第一歩かもしれない。
第二に、大阪湾ベイエリアにおける地域イノベーション・システム構築には、地域の社会経済資源に呼応した地域産業政策構築が必要である。グローバル・ネットワーク時代における大阪湾ベイエリアにおいて、まず、死蔵された地域資源の再編成、外部からアクセシビリティを高めるための仕組みの創出など、ロック・インしてしまった主体や仕組みを再編させることからスタートしなければならない。その意味で、小さな変化を全体の動きにまとめあげるための明確なポリシィ・プリンシプルと、これに呼応する大胆な政策が不可欠である。大阪湾ベイエリアに蓄積されてきた多様な産業群、台頭する先端ビジネス群との連携を指摘しておきたい。異業種・異質ビジネスの創造的な統合は、新たなイノベーションを促すキイともなろう。その際、ベイに台頭しつつあるバイオや医療系のカッティング・エッジ領域との連携、西播磨・学研都市などの既往サイエンス・パークとの連携なども視野においたコーディネーション政策が必要である。
第三に、地域イノベーション・システムを加速する「政策実験ゾーン」の提案を行いたい。今日の「国家戦略特区」に近い規制緩和を核とする戦略ゾーンの提案である。「特区」によって地域・都市を再生しようとする試みは、現在では世界的に導入された手法だが、1980年の英国サッチャー政権下のエンタープライズ・ゾーンがその先駆である。日本では、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災復興において、研究者、自治体、経済界が経済復興のいわばエンジンとして提議した特区「エンタープライズ・ゾーン構想」が最初である。
大阪湾ベイエリアにおける地域イノベーション・システムの構築には、地域のポテンシャルを最大化することを阻んできた要因を解除する大胆な提案が必要だろう。ここではこれを可能にする政策実験特区の基本的な視点だけを整理しておきたい。まず重要なことは、市場の力を十全に発揮できる「指令塔」をつくることだ。イギリスでは、現在、地域経済の成長を目的とする民間企業と自治体とのパートナーシップLEPs(Local Enterprise Partnership)が政府との連携や地域経済計画の策定など、きわめて大きな役割を果たしている。その基本は、市場のダイナミズムに大きく期待する姿勢にある。大阪湾ベイエリアは、歴史的にも企業の基幹工場が集中していた地域であり、経済活動の基盤となる様々な蓄積は大きい。企業と広域行政のパートナーシップによる地域再生・創造の場としてそのモデルケースとなる。
具体的には、大阪湾ベイエリアを自治体の枠を越えて統括し、民間企業群とパートナーシップを形成する組織や仕組みが必要だ。インフラ整備、不動産のマネジメントに関わる権限など、機動的な地域再生・創造を可能にする強力な仕組みが必要である。こうした独自の権限と期間・地域を限定して活動する大阪湾ベイエリア再生・創造に関わる組織は、一方で中長期的な視点からの息の長いまちづくりという視点とどのように接点を作っていくかが課題となる。その意味で、かかる組織は、決められた期限内でスピード感のある再生を行うと同時に、これに連動する形で中長期的観点からのまちづくり全体を視野に置いた地域再生・創造を起動しプロデュースすることになる。ハード・ソフトのインフラ整備を着実に実施し、再生・創造のマネジメントを行う司令塔でなければならない。その際、ベイエリア内・外における相乗効果創出のデザイン、さらに国内外における企業連携など広域的視点からの再生・創造政策を講じていく必要がある。
こうしてみると、大阪湾ベイエリア再生・創造を担う役割は、従来からの慣習や既往の既得権益から離脱できない日本社会の仕組み自体の「突破口」を提案することになるのかもしれない。古くからの産業空間再生・創造を実現するためには、様々な施策を多様な手段で実現していく政策「実験」を繰り返すことだ。地域社会・産業の再生のために、ありうる施策を大胆に実施していくことが重要である10)。
R.フロリダらは国境を越える大都市圏域群としてメガ・リージョンの存在を指摘し、こうした広域都市圏が世界を牽引する構図を描き出した。ポイントは、メガ・リージョンごとにその「競争力」の所在が異なる点だ。広域圏内における地域資源の多様性を基盤に、これらの有機的な「結びつき」(集積、クラスター)のあり方にその競争力の源泉がある。クラスターのマネジメント力が問われているといって過言ではない。われわれは、従来のシンプルな都市間競争の時代からメガ・リージョンによるグローバルな視点からの内外連携・協力を含む新たな競争力のありかたに焦点をあてていく必要がある11)。
1)加藤恵正「大阪湾ベイエリアはBPE(Branch Plant Economy)の罠から逃れることはできるのか」近畿都市学会編『都市構造と都市政策』古今書院、141-147頁、2014年.
2)大阪湾ベイエリアの将来の姿については、知識経済化という観点から言及した。加藤恵正「パネル・ベイからブレイン・べイへ」(財)大阪湾ベイエリア開発推進機構『アジア・世界への飛翔』18頁、2010年.
3)加藤恵正「社会イノベーション政策による都市の創生」都市政策163号、4-15頁、2016年.
4)近年、進化経済地理学において都市の盛衰メカニズムに関する研究蓄積が進んでいる。外枦保大介(2012)「進化経済地理学の発展経路と可能性」地理学評論85-1, 40-57頁.Boschma,Ron and Martin,Ron,(eds.)(2010), The Handbook of Evolutionary Economic Geography, Edward Elgar.
5)Grabher,G. ’The Weakness of Strong Ties: The Lock-in of Regional development in The Ruhr Area’, Grabher.G.ed. The Embedded firm; On the Socioeconomics of industrial Networks, Routledge.
6)Hassink,R.(2005) ’How to Unlock Regional Economies from Path Dependency?-from Learning Region to Learning Cluster-. European Planning Studies, Vo.13,No4,pp.497-520.
7)Katoh,Y (2013) Transformation of a Branch Plant Economy: can the Osaka Bay Area escape the rust belt trap ?, Working Paper, No.224, Institute for Policy Analysis and Social Innovation, University of Hyogo, 2013.
8)加藤恵正「リスクに挑戦する都市へ‐台頭する2つのタイプの小組織企業‐」都市政策143号、12-22頁、2011年.
9)エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」によって決まる-雇用とイノベーションの都市経済学-』(池村千秋訳)プレジデント社、2014年.
10)加藤恵正編著(2016)『地域を動かす』同文館、2016年.
11)加藤恵正「地域経済の発展と政策」池田潔編『地域マネジメント戦略』同友館、34-58頁、2014年.
加藤 恵正氏
【経 歴】
1976.3 慶應義塾大学経済学部卒業
1983.3 神戸商科大学(現兵庫県立大学)大学院経済学研究科博士課程後期単位取得
1983.4~1987.3 神戸商科大学商経学部経済学科講師
1987.4~1995.3 神戸商科大学商経学部経済学科助教授
1995.4~2004.3 神戸商科大学商経学部経済学科教授
2004.4~2006.3 兵庫県立大学経済経営研究所教授・所長
2010.4~2012.3 兵庫県立大学政策科学研究所教授・所長
2014.4~2016.3 兵庫県立大学政策科学研究所教授・所長
2017.4.1~ 兵庫県立大学大学院 減災復興政策研究科教授
【専 門】
経済地理学、都市・地域経済政策
【著書・論文】
「Transformation of a Branch Plant Economy: can the Osaka Bay Area escape
the rust belt trap?」、Working Paper No.224
(兵庫県立大学政策科学研究所)、2013
「グローバル都市政策によるアジア連携の可能性-都市のソフトパワーを考える-」、都市政策150号、2013
「リスクに挑戦する都市へ-台頭する2つのタイプの小組織企業-」、都市政策143号、2011
「「地域を動かす」仕組みを考える」、TOYONAKAビジョン22、第14号,2011
他多数