大阪府立大学大学院経済学研究科
観光・地域創造専攻
准教授 花村周寛 氏
はじめに
2010年代の世界は第4次観光革命と呼ばれ、未曾有の大観光時代を迎えています。100年前の世界は、戦争と人口増加と居住問題に心を砕いていました。それがこの50年の間に先進諸国では都市のインフラ開発は一巡して落ち着き、外から人々を迎える余裕が生まれました。またジャンボジェット機の登場は人々の世界中の移動を可能にし、そしてこの20年の間に世界中に張り巡らされた情報インフラは、世界中のリアルタイムのコミュニケーションを可能にしました。さらにこの10年間に後進国での人々の所得が上がり海外旅行への希求が向上してきた結果、この5年ほどの間に急速に激しさを増す形で、世界中を人々が大移動する現象が出現していると言えます。
一方で、先進諸国の中でも特に人口減少が進む傾向にある日本では、これまで整備してきた様々な都市インフラの維持が国民の負担だけでは難しくなってくることが予想されています。そのような中で観光による交流人口をいかに増やすのかということに対して大きな期待が寄せられるのは必然のことでしょう。特に2020年に行われるオリンピックを契機に観光庁は訪日外国人を4000万人まで増やすことを目標に掲げており、2030年にはその数を6000万人まで増やすと意気込んでいます(平成28年5月観光白書)。6000万人というと、インバウンド観光客の数で世界第3位を誇るスペインに迫る数字です。その達成に向けて、日本は並み居る強豪の中で、他国と比べて日本がより魅力的なディスティネーションであることを訴える戦略を立て、世界に対して強くプレセンテーションする必要がこれから出てくるでしょう。
そんな国を挙げた熾烈な競争が今後進んでいく中で、日本の各地方が無関係と決め込んで指をくわえているわけにはいかない状況が高まっていくのは当然です。これまで以上に多くの観光客が日本を目指してやってきたときに、日本国内に来た観光客を獲得するために地域同士の熾烈な競争がこれまで以上に加速することは避けられません。そのような中で地域の観光戦略を考える際に最も大切なことは何でしょうか。それは “モノの見方”なのではないかと私は考えています。
観光資源がない場所はどうするのか
これからはツーリストを惹きつけるための努力や工夫をする地域には多くの人が集まる一方で、努力しない地域には閑古鳥が泣く状況が生まれるでしょう。来訪者の地域格差は、その地域の主体の努力の有無によって今後ますます拡がっていくと予想されます。
もちろん観光客獲得のための競争においてアドバンテージを持つ地域というのは、魅力的な観光資源を有する地域であることは当然です。世界遺産や特異な自然、豊かな文化など、魅力的な観光アトラクターがある地域は、それを中心に来訪者を迎えることができるからです。しかし人々を惹きつけることができるかどうかという問題を、魅力的な観光資源を有していることだけに還元してしまうと、チャンスのある地域は限られてしまいます。そういう目立った観光資源がない場所では交流人口を向上させることを放棄せねばならないのでしょうか。割り切って観光を捨てるというのも一つの戦略ですが、すぐ側までやってきている観光客が、我が地域を通り過ぎるのを横目に指を加えることしか出来ないのでしょうか。
そもそも観光資源というものは最初からあるわけではありません。誰かによって地域の何かに価値が見出され、それが磨かれることでだんだん外の人を惹きつける観光資源となっていくのです。現在、すでに観光資源としての価値が認められているようなものであっても、元を辿れば最初は人々に見向きもされないようなものであった場合も多くあります。だから、最初からここには見るべきものがないと地域にあるものに目を向けることがなければ、それは資源にはならず埋もれたままなのです。いかにしてこれまで地域の資源だと考えられていなかったようなものに価値を見出すのか、そしてそれを生かしてどのような戦略を立てるのかが、今後の地域の分かれ道になるでしょう。そのためには、これまでと違った角度から眺めて、“モノの見方”を創造的にすることが重要なのだと考えています。
見方を変えると価値が生まれる
私は「まなざしのデザイン」という少し風変わりな研究実践を専門にしています。元々は街の風景や屋外空間を美しく整えるためのランドスケープデザインを専門としていました。しかし場所の風景や美しさというのは物理的な要素だけではなく、見る人間側の意識や意味、文化や価値観に大きく影響を受けています。都市や地域のインフラ開発が一通り落ち着き、これからは場所を利用するという課題へと時代の要請が移ってくる中で、“作り方”よりも“見方”のほうが重要になってくる時代へ入ってきます。だから場所のデザインだけでなく、それを見る人間側の見方をデザインすることが重要であると考えてこれまで様々な実験を行ってきました。
例えば、上の写真のような何の変哲もない道路にあるごく普通のマンホールを考えて見ましょう。普通に考えると立ち止まって見ることもないような場所ですが、下の写真のようにするとどうでしょうか。
これまでイメージしたことのなかった工事現場の風景がそこに出現します。これは子供達と一緒にやったまなざしのデザインのワークショップですが、鉄道模型の人形を選んで街のあちこちに立てていくだけの簡単な方法です。これは単なる遊びのような方法ですが、あるものを別の文脈に置く見方を設定するだけで、モノの意味や価値が変更されることが理解できるのではないでしょうか。
私たちが普段周りのモノを眺めるとき、無意識のうちにとても限定したモノの見方をしてしまっています。お箸は食事に使うためのもの。寝室は寝るための場所。図書館は本を収蔵して読むための施設。荒地は利用価値がないもの。そうやって私たちはある対象物に対して、目的や機能に応じた価値を当てはめて眺めているのです。それだけではありません。あまりに当たり前になりすぎてしまったものは、見てはいても意識に入ってこないことさえあるのです。例えば通い慣れた家から駅までの道というのは、自分にとっては慣れ親しんだものなので珍しさが薄れ、発見がだんだんとなくなってしまいます。そうなるとその場所は見るべきものとしての価値が下がっていくのです。私はその状態を、場所と自分との関係性が“固定化”していると呼んでいます。その固定化した関係性を様々な手段で変化させる方法が「まなざしのデザイン」です。この考え方を延長していくと、どのような場所やモノであっても何らかの価値を見出すことができます。
例えば、上の写真のような大規模急性期病院の入院病棟にある光庭を考えて見ます。
機能上で言えばこの場所は単に建築内部へ光を導入するためだけの空間として作られています。普通はそれ以上の積極的な意味は見いだせずにいるので、誰も見向きもしないような裏側の空間になっています。しかしここへ下から霧を立ち上らせ、空からシャボン玉を降らせるということをしたらどうなるでしょうか。
すべての病棟から窓辺にやってきた1000人もの人々が空を見上げる場所となるのです。孤独な状態で入院生活を送る患者が、窓辺にやってきて医師、看護師や家族と一緒に空へまなざしを向けて会話し始めます。閉塞した病院の中で、唯一全ての人々が一堂に会して顔をあわせる開放的な場所であるにも関わらず、その価値はこれまで見出されずにいたのです。
少しモノの見方を変えることで、今まで全く認識されていなかったような新しい価値が発見できる可能性が出てきます。それは地域の資源に関しても同じであり、それまで誰も価値だと思っていないようなものであっても、モノの見方を変えることで価値を生み出すことのできるチャンスがあるのです。
憂鬱な雨を観光資源にする
実際にモノの見方を変えることで観光資源を生み出す取り組みに成功している海外事例を見てみましょう。冒頭で述べたスペインは2015年には約6821万人の外国人観光客(UNWTO調べ)を迎えた世界第3位の観光大国ですが、この国の最大の観光資源は文化でも芸術でもなく“太陽とビーチ”と言われています。欧州北部の人々は太陽を求めてスペインに訪れ、地中海沿岸部の州、イベリア半島の中央部や南部の州といった太陽に恵まれた土地を楽しむのです。そんなスペインにも太陽というイメージから程遠い地域があります。それは北部に位置するガリシア州・アストゥリアス州・カンタブリア州・バスク州という4つの州です。
これらの州では雨が一年中降っていて、太陽やビーチというスペインのイメージとは無縁の気候に属しています。明るく乾燥した風景を求めてやってくる観光客にとってはデメリットだらけの土地であり、実際にこの4州では観光戦略を立てるのに苦労を重ねていました。通常であれば、こんなデメリットのある気候では観光戦略を考えることを諦めるかもしれません。しかしスペイン政府観光局はこのデメリットに対してのモノの見方を変えました。雨が多いことを逆手にとって、この4州を「エスパーニャ・デ・ベルデ(緑のスペイン)」という観光キャンペーンで売り出したのです。
雨がたくさん降るということは、それだけ水が豊富であり、緑が豊かに育つ大地であると言えます。だからスペインの他の乾いた場所とは異なり、一面に広がる湿潤な緑の大地を観光にとってのメリットと考えたのです。憂鬱な雨を農業と牧畜にとっての恵みの雨として捉えるモノの見方へと切り替え、とれたての旬の農産物、豊富な牧草で育った牛や豚、北の海で取れる豊かな海産物などの地元食材を使った食文化を中心とした戦略を立てたのです。これによってこの観光キャンペーンは大成功をおさめています。
モノの見方を共有する
その緑のスペインで最も成功している都市の一つがバスク州にある小都市サン・セバスチャンです。サン・セバスチャンはわずか人口18万人の都市であるにもかかわらず、ミシュランの三ツ星レストランが3店、二ツ星レストランが2店、一ツ星レストランが4店あり、人口一人当たりのミシュランの星の数は世界一という美食都市として名をはせています。町の中には至る所にピンチョスと呼ばれるこの土地独自の小さなおつまみを並べた立ち飲みのバルがあり、多くの人がはしごしながら渡り歩く場所になっています。それはこの20年の間の出来事であり、かつては観光客に注目されることなど無いような地方の静かな町でした。
同じバスク州の県都である近郊のビルバオではグッゲンハイム美術館を誘致して奇跡的な都市再生を果たしましたが、サン・セバスチャンにはそのような大型プロジェクトに投資する資金はありませんでした。サン・セバスチャンはスペインで最も降雨量が多い場所であり、観光のハイシーズンにあたる秋に最も多く雨が降る上、人口もバルセロナの10分の1にも満たず世界遺産もないような街だったのです。しかしそんな街に新しいモノの見方を向けたのは街の料理人たちでした。
バスク地方は元々豊富な食材を背景にした食文化を大切にしてきた伝統があるのですが、地元の人にとっては当たり前の文化であり、特にその価値はこれまで取り立てて認識されることはありませんでした。しかしフランスで1970年代に流行したヌーベルキュイジーヌという新しい料理の革命に刺激を受けたバスクの料理人たちは、自分たちの地元の食材に対するモノの見方を変えたのです。これまでの食材に対してクラシックな料理法を取るのではなく、見たことのないような新しい表現の創作をチャレンジした運動が1990年ごろより盛んになり、それがのちに「ヌエバ・コッシーナ(新しい料理)」と呼ばれるムーブメントになっていきました。
そのムーブメントはミシュランの星を持つレストランに限ったわけではありません。こうした料理人同士は互いにレシピを教えあい、料理学校をつくることで後進の料理人の育成を行っているのです。また料理人ではない職業の男性たちも、街にいくつもある「美食倶楽部」と呼ばれる料理のコミュニティに所属して、互いに料理を教えあっています。食にまつわる多くのコンクールも毎年開かれており、新しい料理のアイデアがそこでも共有されます。
ここから伺えるサン・セバスチャンの成功の鍵は、一部の料理人の中に新しいモノの見方が閉じられるだけでなく、それが多くの人々に共有されていったことではないかと私は考えています。世界最先端で極上の腕をふるうプロの料理人たちから街のお父さんたちまで、様々な人々が食文化に対してのモノ見方を変えて新しい価値を見出さなければこれほどまでの成功は無かったでしょう。
おわりに
私たちが視察に訪れた2016年はサン・セバスチャンが欧州の文化首都として選ばれた年でしたが、その記念のおみやげとして“傘”が売られていたことがとても印象に残っています。雨が多いこの地域では必ず傘が必要になるので、おみやげにすれば買ってもらえるという戦略なのです。観光にとってデメリットであるはずの雨に対してこんな形でもモノの見方を変えていると感心しました。しかしそうした実用的な意味以上に、この雨がバスク地方の豊かな文化の原点になっていて、この傘を開くたびにサン・セバスチャンを思い出して欲しいという誇りが垣間見えます。どんな地域であっても資源がない場所など存在しません。ただ私たちのモノの見方が貧困なのでそれが資源に見えないだけなのです。少しだけこれまでとは違った角度から自分の地域を捉えることで、次の観光資源や新たな文化を創っていける可能性が開けるのです。そのためにはまずは自分のモノの見方をデザインすることが大切ではないでしょうか。
花村周寛 氏
ランドスケープアーティスト/
研究者・博士(緑地計画)/俳優
大阪府立大学大学院観光・地域創造専攻准教授。専門はアートによる風景異化論。「風景のデザイン」をテーマに、聖地を中心としたフィールドワークをすると同時に、病院や街のパブリックスペースにおけるアートのインスタレーション、バングラディシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防など、国内外の社会問題を抱える場の風景を変える作品をつくる。