創造都市の概念 |
20世紀は、世界的に製造業を中心にして大規模な工場を作り、そこに労働力資本が集まって大都市を形成してきた時代でした。しかし、現在、製造業というのはグローバル競争の中で、どちらかといえば発展途上国の方に競争力があります。労働力と資源の安さから見ればそれは当然の展開で、そうなると先進国では今度は「脱工業化」がキーワードになります。製造業を中心とした従来の経済モデルから、よく言われる21世紀型の「知識や情報」を中心とする経済モデルへと、いかにシフトチェンジするかが問われています。約10年前のブームも今では落ち着き、これまでの情報通信技術やその周辺産業よりも、さらに革新的な「知識情報産業」の創出が都市再生のカギとなります。
ここで言う「知識情報産業」とは、学術、研究開発、芸術やエンターテインメントなど、およそ「クリエイティブ(創造性)」という広義な言葉で表現されます。それらを中心とする経済を今後発展させるために、何が一番大事かと言うと、先端的な技術開発にしろ、芸術の創造性にしろ、共通点はいかに「創造的(クリエイティブ)な人物」がその都市にたくさん生活しているかということです。彼らの創造性やアイデアを産業レベルで具体化していくことが「創造産業」であり、それができる都市を「創造都市」と呼びます。
私が提唱する「創造産業同心円モデル」(P3-図1)で説明しますと、まず中心に「創造的コア」があります。これは映像、音楽、アート、それにコンピュータ・マルチメディアアートなどを指し、「クリエイティブな人物」がそれらと同義です。そしてそれらの周辺にテレビやラジオ、出版、映画などの各種メディアが存在します。それらメディアの触媒力によって、中心に位置する「創造的コア」が社会や産業界(モデルでの最外円)と触れる事で、そこに創造産業が生まれるというわけです。
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国内外に見る「創造都市」の成功事例 |
海外では、日本よりいち早く製造業が衰退したヨーロッパに「創造都市」の成功事例を見る事ができます。近年のEUによる国家の統合がもたらしたものは、単なる通貨の統一だけではなく、市民が依るべき基軸が「国家」から「都市」へと振り戻った点です。歴史的に見ると、中世から近代・現代に至る中で「都市国家」から「国民国家」に変遷してきたものが、再び「国家」から「都市=CITY」にその焦点が合いつつある。それは従来よりも「小さな単位」を意味するもので、それを突き詰めて考えれば「個人」へと帰却します。ヨーロッパに限らず、世界的にそうした流れがあるのは明白で、互いの多様性を認め合うグローバリゼーションが求められているからです。そうした社会的ニーズのなかにおいて「創造性」とはまさに個人レベルで立ち上がるものであり、そこにこれからの「創造都市」「創造産業」の可能性を見る事ができます。
オランダのアムステルダムでは、19世紀に建設された都市ガス工場が閉鎖された後、その跡地の利用に際して「公園としての利用」を望む周辺住民の声を聞き入れ、公園として再生することとしました。オペラやファッションショー、映画撮影から展示会といった様々なジャンルのイベントを展開することで「文化公園」としての可能性を確認し、公園のグランドデザインについては国際コンペを実施して決定しました。そして工場の施設を不動産開発業者に譲渡し、この会社が建築ビューローの監督の下で建物を文化活動にふさわしいものに修復することになりました。こうして市民、建築家、企業の力を効果的に活用して「環境と文化の創造の場」として転換したのです。
こうした取り組みはヨーロッパだけに限らず、例えばお隣の韓国などでも見る事ができます。例えば釜山も、今では映像産業を中心に置いた「映画CITY」と呼べるまでになりました
この10年間、釜山国際映画祭をきっかけに、映像文化を育成し、それらを産業化することに成功しています。日本が不良債権処理に追われていた「失われた10年」の間に、世界の各地ではこうした動きが顕著化していったのです。
さて、日本でも近年注目すべき都市がいくつかあります。石川県金沢市では、従来の繊維産業が衰退すると、紡績工場跡と倉庫群を活用して1996年に「金沢市民芸術村」をオープンさせました。これは映像や音楽、アートなどの活動拠点を広く市民に開放したもので、その管理運営も一般市民から選ばれたディレクターたちに任されています。まさに市民参加、市民利用の試みと言えます。また昨年には、都心部に「金沢21世紀美術館」という円盤型の美術館をつくり、地元の伝統芸能と近代アートの融合の場として活用しています。金沢市はこの美術館を核に、「ファッション産業創造機構」を設立し、現代アートから産業を生み出す事業をすすめています。
また横浜市でも、「クリエイティブシティ・ヨコハマ」構想のもと、「映像文化都市」を目指しています。文化的価値がありながらも現在は利用されていない銀行の建物や臨海部の倉庫、それに空きオフィスなどを市民の「創造の場」として活用する「Bank ART 1929」では現代アートを中心にした様々なイベントが展開されています。この取り組みを行うにあたって横浜市は、従来の「縦割りの行政システム」に決別し、部局横断型の施策推進を行う事で市民やNPOの参画を大胆に推し進めています。個人の「創造性」を活かすことで、都市としての「創造性」を取り戻すという点では、この体制変革は今後大きな意義をもつことでしょう。
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大阪における取り組み事例 |
かつて水の都と呼ばれ、水路が交通インフラの基幹だった大阪には、「上方文化」などの誇るべき文化が存在していました。民間の人が橋を造るなどして、まちづくりに参画する。これは非常に素晴らしい文化、気質です。しかしそうした大阪特有の文化が戦後の大量生産、大量消費の社会の陰に埋没してしまったことは事実で、ここでまた同じことを繰り返してはいけません。
いま私が大阪で注目している取り組みが、大阪市住之江区の湾岸工業
地帯で行われている「NAMURA ARTMEETING‘04-‘34
」というプロジェクトです。元々は「名村造船所」があった場所で、広大な敷地やドックが広がり、対岸には製鉄所が存在します。2004年から2034年までの30年間という長いスパンで、その跡地を活用して芸術や文化活動など幅広いジャンルで「未来を創造」していこうという試みです。また大阪市築港の赤レンガ倉庫を活用した「大阪市アーツアポリア事業」も、その動向に注目したい事業です。大正時代に作られた情緒ある赤レンガ倉庫をそのまま活かし、表現者や研究者らがその活動を深め、互いに交流し、そして芸術環境を整えています。運営事務局も2003年からNPO法人化され、市民参加の視点での運営が行われています。前述の金沢市や横浜市、そしてこの2つの取り組みなどで明確な点は、市民や民間の知恵や力を引き出すような「パートナー」としての関係性で行政が関わっている事です。よく言われる「産官学連携」などは、官が主導して業界団体がそれを受ける、という従来のやり方をそろそろ変えていく必要があります。市民が生活する場が都市であって、既得権益だけを重視してはいけません。都市を再生させるためには、「よりよい生活を求めて人々が集まり住む」という「都市の論理」が今まで以上に重要で、そこには「市民の視点」がより重要な位置を占めるようになります。今まで工業地域だからと閉ざされていた場所も、市民参加のこうした取り組みで実際に人が集まるようになります。また工場施設という、ある意味20世紀を体現するものを改めて距離を置いて見る事で、これからの人間社会にとって根源的に必要なものを個人個人が考えるきっかけにもなります。
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大阪湾ベイエリア開発への提言 |
日本の海岸線の長さはオーストラリアに次いで世界で2番目ですが、水辺や湿地を中心にした生態系にも、近年の物質的な豊かさを求めたための影響が出ています。私たちは今こそ、日本がかつて豊かな自然とたくさんの生き物に満ちた「美しい国」であったと思い出す必要があります。
関西には歴史に育まれた伝統や教養、それらをバックボーンとするたくさんの知恵が眠っています。それらを学び、活かし、将来を考えることが大切です。堺や神戸、明石など、それぞれ由緒ある都市が連携しているというメリットを活かして、大阪湾ベイエリア全体で市民が何か参加できる企画があれば、おもしろい事がおこるでしょう。港が文化創造と発信の拠点として機能することは、とても意義あることだと思います。
創造的、クリエイティブな人たちというのは概して枠の外にいるわけで、そういった人をどのように支援して、産業界と結びつけていくかを考えないといけません。そのためにはクリエイティブな人も含め、もっと広く市民がベイエリアに親しみ、そして市民同士が自由活発に討論するような「場」を作らないといけない。ベイエリアの地域で都市間のネットワークと同時に、市民間のネットワークを広げていくためにも。今は、市民が生活の中でベイエリアに近づき、親しみを感じることがなかなかできませんから。
海外の事例で例えばスペインのバルセロナがなぜ元気になったかというと、市民が集まって討論する場を小さくてもたくさん作ったからです。みんなで騒々しく討論するから、そこからまた新しいアイデアが生まれてくる。やっぱり創造都市というのは、騒々しいものですから…。その中のアイデアが一つでも、産業に結びつけばいいのだと思います。
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(2005年秋号) |
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