都市緑化がなぜ必要かという問いには、ヒートアイランド現象の緩和や、多様な生物の生息場所になるといった、緑の持つさまざまな機能が答えとして用意されます。それはもちろん間違いではありませんが、私には、都市にも緑があるのが当然で、緑が無い状態に、これまで耐えてきたことのほうがおかしいと思います。
私たちの世代は、子どものころ、山や川で遊んだ経験をもつ人がほとんどでしょう。緑ゆたかな自然を原風景として持っています。なのに、高度成長期、私たちは効率を追及するあまり、都市も効率的で隙のないものにしてしまったのです。私たちが、自分自身の成長と、経済の成長の過程で私たちの自然や緑に対する価値観が変わってしまったのでしょうか。 |
|
あるべきものを取り戻す |
ただ、日本の気候や地形のおかげで、東京を除くほとんどの都市では、少し郊外に行けば田んぼがあり、その向こうに山林を見ることができます。それを借景にすることで、街に緑が無くても耐えられたのかもしれません。
しかし、高度成長からバブル時代を経て、緑の無い空間がさらに広がり、ヒートアイランド現象なども顕在化してきて、はじめて、緑がないことの痛みに気づいたのではないでしょうか。緑がなくても平気だったように見える時代も、潜伏期間だっただけで、決して健康ではなかったのだと思います。
ただし、これは、緑の中で遊んだ経験を持つ世代の話です。緑の少ないところで育つと、緑への欲求はそれほど強くなりませんよね。現代の子どもたちの原風景は、緑ではなく、都会の路地でもなく、テレビゲームの画面中にある風景かもしれない。それは、恐ろしいことだと思います。大人たちはその恐ろしさを感じているのに、子どもたちに川に近づくなとか、道で遊ぶなと言っています。自分が子どものころは、川も道も遊び場にしていたのにね。しかも、自分たちの原風景である山や川を、子ども世代のために残すことを怠って来ました。そういう意味では、早急に緑を取り戻すことが必要です。 |
|
私の緑と役所の緑 |
都市の緑と言うと、よく、街路樹の本数や、市民一人当たりの都市公園の面積が指標になります。けれど、私たちの眼に入る緑は、公園や街路樹だけではありません。個人の住宅の緑も、山の緑も、すべてが同じ緑です。
最近、市民参加や、行政と市民の協働ということがよく言われます。緑にも同じことが言えます。これまでは、家の垣根の中は私(わたくし)の緑、公園や街路樹はお役所の役目でした。けれど、市民が公園の計画や維持に関わることが増えてきました。逆に、行政が個人の庭に、種や苗を支給して、街の景観のために一役買ってくださいというケースもあります。公の緑と私の緑を隔てていた垣根が取り払われてきているのです。
公園は、構想、計画、設計、造成という段階を経てつくられています。利用者である市民は、公園作りには直接には関わっていませんでした。芝生は立ち入り禁止、キャッチボールも禁止というのも、利用者の立場からではなく、維持管理のしやすさというか、守ることを中心に考えているように思えます。
まず、どんな風に使いたいかというニーズがあって、それにあわせた公園のあり方を考える。これが、今、始まっている、市民参加の公園づくりですよね。ワークショップを重ねて、構想を練るところを、行政と市民が一緒にやることによって、使ってもらえる公園ができる。自分たちでつくった公園は、大事にしますよね。
個人の庭の方は、だれでも、はじめは自分の楽しみのために花を植えます。利己的な花と緑です。ところが、道行く人が、「きれいですね」と褒めてくれると、人のために、もっときれいにしようと考えるようになる。利他的な花緑に変わるのです。花緑には伝染性(?)があって、一軒がきれいにしていると、まわりの家にもそれが広がっていきます。それなら、みんなで協力しようということになると、これは、環境的な花緑になります。
花を媒介にして、地域の環境が変わり、グループが生まれ、コミュニティが育っていくことが非常に多いのです。花が嫌いな人は少ないですし、自分の住む場所が花と緑できれいに飾られていて、皆から褒められるのは、気持ちのいいことですからね。 |
|
まちづくりのツールとしての花緑 |
私は緑はツールか、ターゲットかという話をよくするのですが、花と緑は最初は活動のターゲットです。花と緑にあふれる美しい街角をつくろう、気持ちのいい公園をつくろうと。しかし、それだけでは終わらない。一緒に活動した仲間と今度は福祉に取り組もうとか、まちづくりのコミュニティが生まれるんです。
そういう意味では、緑はまちづくりのツールとして考えることもできます。コミュニティの希薄なところで、いきなり、「まちづくり活動をしましょう!」と呼びかけても、参加するには勇気がいります。
花と緑は、まちづくり活動のきっかけづくりとして、とても有効なツールなのです。なにしろ、ひとりが自分の楽しみのために始めたことが、まわりを巻き込んで、まちづくりの仲間をつくってしまうくらいですから。
市民参加のまちづくりは、今、関西、特に阪神間が、日本でいちばん、進んでいると思っています。その背景には、阪神淡路大震災の経験があります。早急な復旧、復興が必要な街で、市民は行政に頼るばかりではダメだということを知りました。行政も市民の力を借りなければ、自分たちの力だけではダメだと言うことを知りました。そこで生まれた活動ですから、とても、実践的で力強いのです。
花と緑を介した活動は、厳しい状況にあった被災地でも、その後のまちづくり活動の継続と広がりにも、大きな力を発揮していますよ。
兵庫県は「参画と協働の推進条例」を制定して、この4月から施行します。それに先駆けて、策定された長期ビジョンは、県下10地域それぞれで、地域ビジョン委員会を作って、公募委員を100人程度募って、議論を重ねて作られたんですよ。私もお手伝いしましたが、それは大変な作業をされていました。行政も確実に変わっています。 |
|
尼崎から新しいまちづくりを |
そして、尼崎21世紀の森構想のお話です。
尼崎市のベイエリア、国道43号線より南の約1,000haが対象で、その中の拠点地区55haでは自然の再生、つまり森をつくる計画があります。50年、100年という長い時間をかけて、行政と企業と、そして市民が力をあわせて森を育てて行くという、壮大な計画です。
私は、この構想をとても高く評価していますし、私自身が、とてもワクワクしています。構想委員会の委員もさせて頂いていますが、公式見解ではなく、私がこの構想に抱く夢について話をさせてください。
この構想は、ニューヨークのセントラル・パークと同じくらい、あるいはそれ以上の価値があります。セントラル・パークは、今から100年ほど前、フレデリック・ロウ・オルムステッドたちの設計でつくられました。100年後の今、セントラル・パークはニューヨーカーの心のよりどころであり、この公園の存在がニューヨークという街の格をあげる存在となっています。
尼崎の21世紀の森も100年後の世代への贈り物です。しかし、セントラル・パークは、ひとりの人間が設計したものですが、こちらは、市民参加で皆で育てていく構想です。セントラル・パークが20世紀のランドスケープの基礎だとしたら、21世紀の森は、21世紀型のランドスケープのモデルとなる壮大な社会実験だと思います。
自然が失われた都市に、次の世代のための森を再生する。それも市民の手で。今はまだ、現地での活動はできないので、森を育てるためにつかう土をつくったり、ドングリをひろって苗木を育てたりということから始めています。誰でも気軽に参加できるように、子どもたちが読めるガイドブックを今、作っているところです。
都市の森、環境創造の森というゾーンは決まっていますが、具体的な計画も市民参加で作っていく方向と思います。私は、先に細かく計画を決めるより、作りながら考えたらいいと思います。
だって、10年先のことは、誰にもわからないじゃないですか。100年をかける森づくりです。考えている間に時間が過ぎて、その間にも緑は減ってしまう。それより早く動き出して、必要があれば修正しながら進めていけばいいと思います。重機をなるべくつかわずに、みんなでスコップを持って行って、造成したり道をつくりたいくらいです。
そして、現場に来て作業できる人だけではなく、自分の庭で苗を育てる人、遠くから応援する人も含め、この森づくりに関わる人が、みんなで、大きな夢を共有したい。ひとりひとりの夢は、厳密にいえば、それぞれ違うでしょうが、アイデアを出し合い、一緒に作業をするなかで、思いが共有されて、みんなの足跡と記憶が残る森を育てたいのです。この計画は、森を育てるだけでなく、新しい公園造りのソフトとハード、そして人材を育てる取り組みです。 |
|
21世紀型の産業もここから |
工場地帯に森を造って何になるのだという疑問を持つ人もいるでしょう。しかし、アメリカのシアトルでは、1970年代に都市ガス工場の跡地に市民参加で造った公園、「ガスワークス・パーク」が市民にたいへん愛されているという例があります。今では、この公園を中心にサイクリングコースがネットワーク状に延びています。
それに「工場地帯」って誰が決めたのでしょう。その土地自身は、工場になんてなりたくないかもしれないのに、こちらの都合で工場用地ということにしただけですよね。
ここに森ができることで、周囲の工場も変わると思いますよ。まず、一般の市民が、これまで来たことがなかった場所に、訪れるようになります。看板を見てもらえて、ここで製品を作ってるんだと知ってもらえる。そうすると、少し、きれいにしようかということになって、気持ちのいい工場地帯になっていくかもしれない。
それだけではありません。私は、この森のイメージにあう工場、リサイクルなどの静脈産業や、バイオマスなどを使った新エネルギー関係の施設などが、周辺に進出してくると思っています。森自体は産業ではないかもしれないけれど、森を育てることで、周辺の工場地帯に、ブランド力がうまれるのです。
これらは、21世紀型の新しい産業です。環境型、循環型の産業がもっと発展すべきだし、それがこの森を核にして、ベイエリアに展開するようになると信じています。尼崎21世紀の森構想は、自然再生、まちづくりの実験であると同時に、21世紀型産業、つまり循環型産業への転換を目指す取り組みでもあるのです。
都市緑化への渇望があり、花と緑を介したまちづくりの活動が広がり、市民と行政が協働したまちづくりの進展ができるようになり、循環型社会の必要性が理解されるようになった今だから、長い時間をかけ、たくさんの人の思いを集めて、自然、森を創造するという、新しい試みができるのです。
これからの日本のまちづくりのモデルになりますよ。このモデルは、すでに成長を始めています。 |
|