「ベイ今昔写真館」では、大阪湾ベイエリアの今と昔の姿を写真で比べて、その移り変わりをご紹介します。
時代とともに変わりゆくベイエリアの歴史をお楽しみください。 |
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昭和4年頃 大阪飛行場(木津川飛行場)
(大阪市立中央図書館所蔵) |
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平成21年 |
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我が国では大正11年(1922)頃から空の定期便が飛ぶようになり、大阪府下では木津川河口や堺の大浜に水上飛行場が建設された。その後、大阪市大正区船町に陸上飛行場が計画され、昭和4年(1929)に大阪飛行場(木津川飛行場)として開港し、東京や福岡などに就航、近代大阪の玄関口として重要な役割を果たした。当時の運賃は、大阪~高松間で40円。しかし元々が軟弱な地盤であったり、西北方向には農林省(当時)の大きな米穀倉庫があり、飛行場がL字型という立地条件、木津川運河を渡し船で渡らなければ飛行場へ行けないという交通の便の悪さなどの為、八尾空港(当時・離着陸訓練飛行場)や伊丹の大阪国際空港(当時・大阪第二飛行場)に役割を引き継ぎ、昭和14年(1939)に閉鎖された。
現在のこのあたりは、製鋼所、造船所などが並び、また、木津川を挟んだ向かいの関西電力㈱大阪発電所跡地には、パナソニック(株)エナジー社のリチウム二次電池工場の建設が着工され、新たな産業の集積地として変わりつつある。 |
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