「ベイ今昔写真館」では、大阪湾ベイエリアの今と昔の姿を写真で比べて、その移り変わりをご紹介します。
時代とともに変わりゆくベイエリアの歴史をお楽しみください。 |
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昭和初期 飾磨地区 海水浴場
兵庫県立歴史博物館蔵(高橋秀吉コレクション) |
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平成20年 |
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江戸時代は舟運によって、姫路城下と結ばれ姫路藩の「海の玄関口」として栄えた。明治時代に入ると、臨海部では多くの近代工場が建設された。数々の紡績業、製鋼業が立地し、加えてマッチの生産も盛んとなり、飾磨は工業の街として栄えることとなった。また、生野鉱山より産出される銀の積み出し港として、フランス人技術者らにより馬車道が整備された。
一方、このあたりは、遠浅の海水浴場としても利用されており、旧制中学などの水練の場として、釣り船や、海岸沿いには休憩所や料理屋が並びレジャーの場として栄えたが、太平洋戦争後、埋立が行われ整備が進み、現在はフェリー乗り場になっている。松林は一部となってしまったが現在もレジャーボートなどが多く停泊しその面影を残している。 |
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