「ベイ今昔写真館」では、大阪湾ベイエリアの今と昔の姿を写真で比べて、その移り変わりをご紹介します。
時代とともに変わりゆくベイエリアの歴史をお楽しみください。 |
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新町川の藍倉 昭和初期
(「写真で見る失われた徳島の風景 城下町徳島」徳島県立文書館 提供) |
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平成19年の新町川 |
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江戸時代、当時は大衆衣料の材料として木綿が多く使われており、この染料として阿波の天然藍が全国に普及した。新町川は、紀伊水道、大阪湾へと繋がる水運の中心地であったため、ここから関東・九州など全国の市場へ藍が広がるようになった。
明治の終わりにドイツから輸入された化学染料により、徐々に天然藍が衰退していくこととなったが、その後も藍倉は残った。しかし、太平洋戦争中の昭和20年の空襲で、徳島市の約6割強が焦土となるなどの被害を受け、藍倉もその姿を消すこととなった。
現在の川沿いには、藍場浜公園、新町川水際公園やボードウォークが整備され、夜にはイルミネーションが楽しめ、週末にはパラソルショップがオープンするなど、人々の憩いの場となっている。 |
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