「ベイ今昔写真館」では、大阪湾ベイエリアの今と昔の姿を写真で比べて、その移り変わりをご紹介します。
時代とともに変わりゆくベイエリアの歴史をお楽しみください。 |
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住友桟橋に第1船入港
(大連航路の「ばいかる丸」)大正15年
(なにわの海の時空館 提供) |
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平成19年の住友桟橋
(南港地区が臨める) |
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大阪の再生に欠かせないひとつの柱は築港計画による港湾の整備だった。
大阪は明治元年、安治川の河口を開港したものの、大型船舶の遡航が困難なため、開港当初から「大阪築港」の必要性が議論されていた。国の財政難や経済界の不況のため、大阪市が築港工事を始めるのは明治30年となる。
しかし、市の財政事情や日露戦争後の不況などにより築港工事は大正5年に中止となる。大阪の未来を担う事業の遅延を危惧した住友吉左衛門・友純(住友家)は、市に対し、南岸桟橋建設工事の受託(肩代わり実施)を申し出た。大正8年の着工から完成まで約7年かかり、労務従事者数は約28万人であった。この岸壁は「大阪市第1号繋船岸壁」が正式名称であるが、現在でも「住友桟橋」として通称で呼ばれている。 |
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