「ベイ今昔写真館」では、大阪湾ベイエリアの今と昔の姿を写真で比べて、その移り変わりをご紹介します。
時代とともに変わりゆくベイエリアの歴史をお楽しみください。 |
|
|
明治時代
(大阪市港湾局 所蔵) |
|
平成17年
両岸にアーチをかけるのが千本松大橋
(写真奥) |
|
|
|
舟が物流の主役だった江戸時代ー。現在の大阪湾は、江戸から安治川に航路をとり木綿・酒・薬種などを運ぶ「菱垣廻船」、北海道から木津川に航路をとり鰊や昆布を運ぶ「北前船」といった諸国廻船が行き交う物流の要所でした。ところが、大阪湾に注ぐ両河川の河口付近は上流からの土砂がたまりやすく、しばしば舟の航行の妨げとなっていました。そこで幕府は、水深を確保し大切な物資の運搬をまもるため、天保2年(1831年)に2年の歳月と延べ10万人余りの人員を費やし、「御救大浚(おすくいおおざらえ)」と呼ばれる大規模な浚渫工事を行いました。この時、木津川において、防波堤として役立つように築かれたのが大規模な石の堤「千本松堤(せんぼんまつつつみ)」です。千本松の名前の由来は、この堤の上に松並木が植えられたからとされています。
そして現在ー。今なお、千本松の名を残す代表が「千本松大橋」です。木津川の河口付近両岸には製鋼工場などが立地しており、多くの貨物船が出入りするため、水面から約33メートル以上の桁下を確保しなければなりませんでした。そこで、橋の両桁をループ状にし、船が航行できる高さに設計されました。上からみるとめがねの様な形から、通称「めがね橋」と呼ばれ親しまれています。 |
|